さくちゃんがわが家にたどり着くまで その2

3時間ほど仮眠をとり、さくちゃんの病室に戻った私たち。
オーデンセの病院で検査を受けてはいましたが、
担当の先生たちが改めて心臓のエコー検査をして、病状を説明してくれたり
付き添い入院のための事務的な手続きについて話を聞いたり、
とにかく「スリーピーヘッド」な私たちには処理しきれないほどの情報が
怒涛のように押し寄せてきました。
何が起こっているかはわかっている、
でも、これがほんとうに目の前で起こっていることなんだ
という実感はいまひとつないまま、入院1日目は過ぎていきました。

翌日、病室のベッドで目を覚ました私。
目が覚めてもまだ「ここ」にいる・・・
これは夢じゃなくて現実なんだということを
ここで初めて実感をもって理解した私は、
言葉にはならないほどの悲しみ、落胆の気持ちに襲われ、涙が出てきました。
同時に、こころのなかでふたをしたまま置き去りにしていた、
ぼっちゃん誕生直後の入院生活のときの記憶や思いも一気に蘇り、
病院、看護婦さんとのやりとりなどすべてに対して
こころのアレルギー反応のようなものが出てきてしまいました。
看護婦さんが座ってじっくり話を聞いてくれ、
いったん気持ちを落ち着けることができましたが、
産後の疲れ、徹夜の疲れ、移動の疲れ・・・不安な気持ちを抱えた状態で
超ポジティブになれるほど、私は楽天的ではないので、
1歩進んで2歩下がるような心の状態が続きました。

さくちゃんの肺動脈狭窄という疾患は、先天性心疾患としてはよくあるものらしく
カテーテルとバルーンを使った肺動脈の拡張手術の段取りもすぐに立てられました。
ぼっちゃんのときは退院するまでに半月かかったけれど、
今回は手術がうまくいけばすぐに退院できそうだ、という印象を
先生の説明から受け、それをこころの励みに手術の日を待ちました。
そして入院4日目の木曜日、さくちゃんは生後6日、カテーテル手術を受けました。
手術中は病院にいないほうがいいという、先生と看護婦さんのすすめもあって
私とエス氏は病院に隣接している患者とその家族向けのホテルの部屋で休憩。
いま振り返れば「その状況で・・・!?」と思うのですが、
とにかく疲れていた私たちは、文字通り爆睡してしまいました。

数時間後、病院から連絡があり病室に戻ると
まだ麻酔から目覚めていないさくちゃんがいました。
看護婦さんから簡単に手術の経緯などの説明を受け、
そのあと先生からも説明を受けました。

一夜明け、心臓科の先生がエコー検査をして、
とくに大きな問題がないことを確認すると
その日のうちにNICUから小児心臓科の一般病棟に移ることになりました。
一般病棟で数日様子をみて、今後のことを決める、という段取りだったと思います。
一般病棟に移り、看護婦さんにキッチンや洗濯機などの設備の説明を受けていると
さくちゃんがぐずりだしました。
はじめはあらら・・・となだめていたのですが、
そのうちに呼吸が少し乱れてきている気がしてきました。
でも、看護婦さんのほうを見ても、明るく説明を続けているので
「きっと私の思い過ごし。センシティブになっているだけなんだ」
そう思って説明を聞いていました。
ほどなくして看護婦さんが病室から出ていくと、
やっぱり日曜日のあのときみたいな呼吸の仕方・・・おかしい。
疑問が確信に変わり、
エス氏に看護婦さんを呼んでもらって診てもらいました。
「そうねぇ、たしかにこんなふうに呼吸をずっとしているのは変ね。
 先生を呼んできます」。

日曜日のあのときの展開の速さを覚えている私は、
「のんきにしてないで早く先生を!!」とこころのなかで叫んでいました。
ところがやってきた先生(余談ですが若くてロン毛でさわやかな先生でした)も、
にこにことあいさつ&自己紹介、ついでに握手なんかしてきたので
「そんなことより私の赤ちゃんを見てください!」
「それとも私がひとりであせってるだけ??」
そんな気持ちがごちゃまぜになった状態で診察の様子をみていました。

「うちの病棟で受け入れられるほど、状態が安定していないので
 NICUに戻ってもらうことになると思います。
 私はこの子のことをよく知らない(=診たことがない)ので
 とりあえず、向こうの科の先生に連絡を取ってみます」
そんな説明を聞いているうちに、さくちゃんはどんどん青白くなっていきます。
先生が看護婦さんに酸素マスクの用意をさせて、
いつのまにか泣くことも、コンコンとおかしな呼吸もすることもしなくなり
ぐったりとしているさくちゃんに酸素マスクを当てました。
先生がマスクをあててくれたときの、ひとまずの安心感は忘れられません。

そうこうしているうちにNICUの先生たちと看護婦さん、レントゲン技師の人たち、
心臓のエコーをとる先生、病室に収まりきらないほどの人と機械が
小さなさくちゃんの周りを囲んでいきました。
私たちは「手術をして元気になっていくはずなのに、なんで?」という
困惑で頭がいっぱいでした。
さくちゃんは一般病棟からNICUへ逆戻り。
扉が閉まった病室の外で、なかの様子をうかがい知ることもできずに
病室を出たり入ったりする看護婦さんたちを眺め、
ただ座って待つことしかできない無力感は筆舌に尽くしがたいです。

突然の事態から3時間くらいたったころ
すべての検査と処置が終わり、重篤な状態ではないことを先生から告げられました。
ただ、体が休息を必要としている、という理由で、薬で人工的に昏睡状態にし、
人工呼吸器で呼吸を補助することになりました。

人工呼吸器をつけている、ということは声は聞こえないということ。
昏睡状態、ということは目も閉じたままだということ。
担当の看護婦さんからは、少なくとも2週間は入院すると思ったほうがいいと
知らされました。

1週間以上前に保育園で「またね」と言ったきりの
ぼっちゃんに会えるのはいつなんだろう。
家から遠く離れたこんなところに来てしまって、
ぼっちゃんをますます遠くに感じる私は、
言葉ではうまく言い表せない、静かで深く、暗い悲しみに襲われました。

さくちゃんがわが家にたどり着くまで その1

さくちゃんが生まれたのは金曜日の早朝。
生まれた当日は、ぼっちゃんはエス氏のお兄さんの家にお泊りして
エス氏も病院に泊まり、翌日の土曜日に家に帰りました。
私はさくちゃんと病院でふたりきりの時間を過ごしつつ、
母乳が出るようになるためのサポートを受けていました。
前回の出産では帝王切開だったので、
出産直後の時間をぼっちゃんと離れて過ごしました。
そして、生まれたぼっちゃんも肺の機能が万全でなく、新生児病棟に入院。
思わぬ家族3人生活のスタートに「こんなはずじゃなかった」と思い
悲しい気持ちになる日々が続きました。
今回は出産直後からさくちゃんとべったり。
出産前は女の子の親になることに少しだけ不安がありましたが、
すぐにいい関係が築けるという思いがわいてきました。


日曜日。
赤ちゃんがいる生活ってそういえばこんな感じだったわぁと、
寝不足と産後の疲れでよたよたしつつも、さくちゃんとの時間を満喫。
ときどき看護婦さんが病室に来て、授乳の様子をチェックしてくれました。
前回よりも母乳の出がよくなりそうな手応えも感じ、
いろいろ順風満帆だと思っていました。
その日の午後、泣いているさくちゃんをあやしていると、看護婦さんが来ました。
「なんだか呼吸の感じが変だから、別の看護婦を呼んでくるわね」と看護婦さん。
呼ばれてやって来た看護婦さん、さくちゃんの様子を見るなり、
「これはちょっと」という感じであわててさくちゃんを抱き上げ、
酸素マスクのある部屋へ連れて行きました。
一気に青白くなっていくさくちゃん。状況についていけずパニックになる私。
看護婦さんの呼ばれてやってきたお医者さんお医者さんに抱っこされて
さくちゃんは新生児病棟に連れていかれました。
保育器に入れられ、ぼっちゃんと同じく鼻に呼吸補助のcpapをつけられたさくちゃん。
保育器を囲むようにしてお医者さん、看護婦さんが4、5人くらいいたでしょうか。
さらにはレントゲンの技師さんもやってきて、
私は状況を把握したような、していないような。。。
とにかく看護婦さんに電話してもらって、
エス氏にも病院に来てもらうことにしました。
当初は、気管か肺が感染症にかかったか、気管に異物が入ったかの
どちらかだろうという説明をお医者さんから受けました。
ところがエス氏が来て、改めてお医者さんから説明を受けると、
心臓をもう少し詳しく検査したほうがいいとのこと。
しかも詳しい検査はもう少し設備の整ったオーデンセの大学病院でするので、
さくちゃんを救急車で移送するというのです。
思ってもいなかったお医者さんに言葉に、びっくりした私たちですが、
まだ心臓に問題があると決まったわけじゃないし、
念のための検査だろうと、お互いに言い聞かせて、オーデンセへ向かいました。

午後11時すぎ、病院が用意してくれたタクシーでオーデンセの病院に着くと、
先に救急車で搬送されていたさくちゃんの検査はすでに終わっていました。
まもなくして検査をしたお医者さんと話をすると、
「心臓に疾患があるので、コペンハーゲンの大学病院で手術を受ける必要があります」。
私もエス氏も、まさかと思っていた展開にショックで涙が出ました。
夜中のうちに、さくちゃんはコペンハーゲンの病院へと救急車で搬送されました。
日付も変わった午前3時、再びタクシーに乗り込み、
私たちもコペンハーゲンに向かいました。
産後3日目に徹夜でデンマークの病院をはしごするなんて、
出産直後は想像もしていませんでした。
今回はすべてが順調に、そして普通に進んでいると思っていたのに。。。。
コペンハーゲン大学病院のNICUに着くと、
看護婦さんやお医者さんがさくちゃんの受け入れでバタバタしていました。
ひと段落ついて、眠気にどっと襲われた私たち。
布団を用意してもらって、休憩室のソファで数時間仮眠をとりました。

さくちゃん誕生までの道のり

さくちゃんの誕生、新生児期を振り返ると、
どうしても病気のことばかりになってしまいます。
でも、しっかりと覚えておきたい、お産自体はとてもいいお産で、
すてきな思い出として頭に残っているということ。
入院中にお産を振り返って書いた文章を、ここにも載せておこうと思います。

 

予定日を6日過ぎた4月5日の朝、陣痛らしき痛みを感じはじめました。
こういうときって、なぜか「日常」を保とうという意識が自動的に働くみたいで、
エス氏を仕事に送り出し、ぼっちゃんを保育園に送り「またね!」と手を振った私。
いつもならみんなの輪にたたたーっと行ってしまうぼっちゃんなのに、
この日は「Hvad er det?」(これは何?という意味のデンマーク語で、
ぼっちゃんはいろんなニュアンスで使います)と私に返してきました。
「みんなとお外で遊ぶんだよ」と言って保育園を出ましたが、
ぼっちゃんはいつもと何かが違うと、このときすでに感じていたのかもしれません。

 

これは陣痛だ、とはっきりわかるような痛みに変わってきたので、
仕事中のエス氏に連絡して帰ってきてもらうことに。
エス氏の帰りを待つあいだ、掃除機をかけてみたりしたものの、
痛みが強くなってきたので横になりました。
お昼ごろ、痛みがさらに強くなってきたので病院に電話すると
「前のお産が帝王切開ということもあるので、病院に来てください」。
タクシーで病院へと向かいました。
病院に着くころには痛みがかなり強くなり、これからのお産を思ってパニック状態に。
前回のお産もそうでしたが、私はどうも子宮口が開くまでに
時間と痛みを要するようで、病院着いてほどなくして
痛み止めのモルヒネを注射することになりました。
モルヒネの効き目が切れはじめると、こんどはシャワーを浴びたり、
鍼を打ったりして痛みを緩和。
その後、これまた前回同様、背中に痛み緩和の麻酔を打ちました。
前回の出産ではこれがあまり効かず、陣痛に長時間も苦しむことになりましたが、
今回はよく効いて、深呼吸で逃がせる程度の痛みしか感じなくなりました。
この状態で子宮口が開くのを待ちつつ、体力を温存。
エス氏とおしゃべりしながらサンドイッチを食べる余裕もありました。
日付が変わるころになっても子宮口が開かないので、
助産師さんがぐりぐりと子宮口を広げるマッサージをはじめました。
本当だったら痛いこのマッサージも麻酔におかげで痛みはなく、違和感のみ。
4cmしか開いてなかった子宮口が少しずつ開きはじめました。
このあたりから、おなかのなかの赤ちゃんが
ぐいぐいと出てこようとしているのがわかるように。
これが自然分娩なんだなぁと思いはじめました。
少しずつ羊水がながれていくのもわかりました。
なかなか開かない子宮口は、助産師さんのぐりぐりマッサージのおかげで
かなり開いてきたものの、最後の数センチが開かず苦戦。
それでもおなかの赤ちゃんはぐいぐい出てこようとするので、
私もいきみたくなるのを呼吸で逃していきました。
そのうちに赤ちゃんに乳酸がたまりつつあるので、
お医者さんが赤ちゃんの様子を見にきました。
「場合によっては帝王切開」というお医者さんの言葉に絶望を感じたものの、
ここでなぜか「ぜったい自然分娩で産むんだ!」とスイッチが入った私。
痛みで半分パニックになりつつも、「もういきんでいいよ」という
助産師さんとお医者さんの言葉に合わせて、いきみました。
何回かの陣痛・いきみのあとで、赤ちゃんの頭が見えてきて、
そのあと何回かいきむとするっと赤ちゃんが出てきました。

 

午前4時24分、さくちゃん誕生。

 

陣痛を感じはじめてから20時間で生まれてきてくれました。
いきむ、いわゆる「お産」の段階はたぶん1、2時間くらいで、
あとの時間は子宮口が開くのを待つ時間だったような気がします。
ぼっちゃんのときは陣痛を感じはじめてから48時後に帝王切開で産んだので、
とっても短く、思い返せば楽なお産だったように思います。
助産師さんが「ラッキーですよ」と言うくらい、会陰それほど裂けず
ほんの少し縫っただけみたいでした。
(そのわりには痛み止めなしで生活できるようになるまで、
1ヶ月くらいかかりましたが。。。)
産後数時間は、私とさくちゃんの様子をみるため、
さくちゃんといっしょに分娩台に寝たまま。
ぼっちゃんのときは、産後数時間は母子別々、
ぼっちゃんがどこにいるかすらわからなかったので、えらい違いです。
その後、トイレに行くように言われ立ち上がったものの、
立ち眩みがして、トイレに座る前に倒れてしまいました。
数分、気を失っていたみたいですが、なんとかナースコールのひもを引っ張り
看護婦さん二人に抱えられて分娩台に逆戻り。
「水分とって!」と助産師さんに言われ、紙コップ2杯のジュースを
いっぺんに飲まされたのはちょっとつらかったです。

そんなこんなで分娩室から産科の病棟まで移動。
産後の数日は、前回、母乳がまったくと言っていいほど出なかったこともあって、
出産前から入院することに決まっていました。
(デンマークでは、とくに問題がなければ、産後数時間で家に返されます。)
病院で生まれたばかりのさくちゃんとまったり…と思ったのもつかの間、
生まれて2日後に予想だにしていなかったことが起こりました。

イェンセン家の人々

このブログは、イェンセン家の日々をつづるブログです。

エス氏と私が出会ったのは2010年。
私がデンマークにワーキングホリデーで滞在していたときのことです。

もともと知り合いだったデンマーク人の女の子を通して知り合ったのがエス氏。
ラングエージエクスチェンジをする、という名目で会いはじめたものの
言葉の勉強などはせず、あれよあれよという間に付き合うことになった・・・
というよくある話が、私たちの馴れ初めです。

その後、私はいちど日本に帰国し、新生活のために仕事をしながら貯金をしました。
そして結婚、遠距離夫婦期間を経て、2012年夏にデンマークに移住、いまに至ります。

私とエス氏は13歳差なので、いわゆる年の差夫婦です。
私の趣味は、こうして文章を書いたり、おいしいごはんを食べること
そしてリサイクルショップでレトロなものを見つけることです。
音楽を聴くこともすき。MewやBelle and Sebastianがお気に入りです。
そんな私のいまの職業は学生(いまは育児のため休学中)。
高校卒業後、経済的な理由もあって公立の短大に進学した私。
これまでずっと大学に行かなかったことがすごくコンプレックスでした。
それが30代半ばにして努力の甲斐もあって大学に行けることになり、
10歳以上離れた若い子たちと席を並べて勉強しています。

エス氏はデンマーク語教師で、本を読んだり、メタルなどの音楽を聴くのがすき。
古いホラーマンガやアメコミを集めたりもしています。

趣味や好みが似ている私たちではありますが、性格はほぼ正反対です。
私は、せっかちで自分ルールが多く、完璧主義で頑固、そして短気。
考えすぎることが多く、不安症状が出るので時々カウンセリングに行っています。
エス氏はとにかく人の意見に対して寛容で、柔軟、自分より人を優先する人です。
私たち夫婦は「きみのしあわせがぼくのしあわせ」と、ドラマみたいなことを
言ってくれるエス氏の人柄のおかげで円満生活が続いていると断言できます。

そんな私たちのところにやってきた「ぼっちゃん」。
子どもがほしいと思ってから、妊娠するまで少し時間がかかりましたが
いろんな意味でベストなタイミングで生まれてきてくれて、
ぼっちゃんは、いつ私たちのところに来るべきかわかっていたんだなぁと
しみじみ思います。
帝王切開で生まれたぼっちゃん。
出生時に肺がうまく広がらず退院まで2週間ほどかかりましたが、
いまはいたって健康、たまに手に負えないほど活発な子です。
ご多分にもれず「はたらくくるま」や恐竜がすき。
日々の成長に親の私たちは眉毛が上がったり下がったり忙しいです。

ぼっちゃん誕生から1年9ヶ月後に生まれてきたのは女の子の「さくちゃん」。
自然分娩で生まれてきたさくちゃんは、
出生直後こそいたって穏やかな時間を過ごしましたが
生まれて2日目に急に呼吸困難になり、その後の検査で
肺動脈弁狭窄症という先天性心疾患があることがわかりました。
自宅から離れたコペンハーゲン大学病院に転院後、生後6日目に手術。
高血圧のせいで術後も体調が安定せず、1ヶ月半入院しました。
その後の検査で高血圧の原因は右の腎臓が機能していないことにある
ということがわかりました。
将来的には左の腎臓ひとつで生きていくことになるさくちゃん、
いまは降圧剤を飲みながら心臓、腎臓の経過観察のために
月に数回大学病院に通っています。
とはいえ、病気だということを忘れてしまうくらいミルクをたっぷり飲み、
かつての横綱「曙」を彷彿とさせる、でっぷりかつ濃い顔で私を癒やしてくれます。

ちびっこと赤ちゃんに囲まれて毎日が嵐のように去っていくイェンセン家。
このブログでは、日々の記録だけでなく、いろんなことに思い悩む私のこと、
ぼっちゃんの成長、さくちゃんの成長と病気のことなど
イェンセン家を取り巻くさまざまなことを書いていけたらと思っています。

気合を入れて復活!

今年の2月を最後に更新がずーっと途絶えていて、
「この先このブログをどうしたらいいんだろう」
「放置されているブログに申し訳ない」
「てゆうかブログに割いている時間なんてない」
・・・いろいろな思いが頭の中を駆け巡りました。

「更新が滞っていて久しぶりに記事を書きましたが
やっぱり続きませんでしたっ!」っていうパターンの典型みたいな、
今回の記事のタイトルですが、ちゃんと更新します。復活させます。
というのも、書きたいことが山のようにあるんです。

4月に生まれた娘の「さくちゃん」のこと、家族のこと、
私のこころのなかで浮かんでは消えていくいろいろな気持ち。
人によってはそれを音楽にしたり、ダンスや絵とかで表現したりしますが、
私には気持ちを言葉にして文にするのが、いちばんしっくりきます。
頭の中で抽象的にぐるぐるとまわっている思いや考えを
文字にすることで目に見えるものにする、ということがやっぱり大切なんです。
でも、頭のなかで巡ることをそのままダラダラと文章にすることはしません。
これは文字にするに値する気持ちなのか、
何を書きたいかを考えるプロセスの中で、考えそのものを整理整頓したり
頭に置いておきたい思いを取捨選択したり、
うまく表現できない気持ちにピッタリの言葉を見つけてあげたり。
それが抽象的な頭の中のことを具体化する、ということなんだと思います。

繰り返しますが、ダラダラは書きません。
でも頭のなかのことを書いているときは、
若干「果てしないたわごと」感が増すかもしれません。
そんな私の心機一転した、イェンセン家の日々のあれこれを、
「母の視点と脳みそ」でつづっていこうと思います。

カテゴリーや過去の記事、自己紹介も今回を機に少し整理していくつもりです。

いまさらながら

いまさらながら出産前に更新し損ねた「下書き」がでてきました。

せっかくなので、記事として載せておくことにします。

 

************************************************************************************

2人目出産予定日まで1週間を切ってしまいました。
エス氏は来週の月曜日までイースターで仕事が休みなので、
休み後そのまま2週間の産休(とるのが義務になっています)に突入し、
そのあとは10月半ばまで週3日勤務というかたちで産休を取ることになっています。

2人目の妊娠期間は、あっという間に過ぎてしまいました。
当然といえば当然ですが、ぼっちゃんをみながらの妊婦生活は、
自分の体の言うことだけを聞いていられるわけではないので、
つらい、しんどいと思うことが多かったです。
そんななか、エス氏と家事や育児を手分けしてこなせたのは、本当によかったです。
おなかが大きくなってからは、ぼっちゃんとお散歩に行くのもつらいし、
床に座って一緒に遊ぶのもつらいしで、なんだかいろんなことが手抜きになり
ぼっちゃんに申し訳ない気持ちでいっぱいになることも多々。
いまある生活で頭がいっぱいなので、妊娠を思いっきり楽しむ余裕もあまりなく、
気がついたら予定日まで一週間。。。入院の準備もまだちゃんとできていません。。。

とりあえず必要なものは買ったので、あとは洋服と一緒にパッキングするだけ。


ベビー用品はだいたいのものはそろっているので、買い足すものと言えば
洋服(今回は女の子の予定)やシーツ、布団カバーなど。
もう勝手知ったるといった感じで、お店であれこれ悩むなんてこともなく
(そもそもそんな時間的余裕もありませんでしたが)
ネットショップでポチポチお買い物をしつつ、リサイクルショップで洋服を調達。
ベビーショッピングのハイライトは、ぼっちゃんをお義兄さん夫婦に預けて
IKEAで夫婦のんびりお買い物をしたことでしょうか。
あ、でもあの日は大雪で、極寒のなかを買った荷物を片手に
張るおなかをさすりさすり帰ったんだった・・・あれはつらかったです。

 


 

"shit happens" とは言うけれど

あっという間に2月も半ば。
ブログの記事を「あっという間」「ドタバタ」「気がつけば」なんて
言葉を使わずに書きはじめられるようになるのはいつでしょうか。
いつだって頭の片隅に「ブログを更新する」が鎮座しているのに
なかなか行動に移せません。

さて、この間にわが家にマイカーがやってきました。
免許を取って4ヶ月、いきなり新車を運転するのは恐れ多い気がするし、
予算的にも難しいので、中古車を買いました。
私よりひと月ほど遅れて去年の夏に教習所に通いはじめたエス氏は、
卒業試験にいちど落ちたあと、教習所を変えてリスタート。
免許をとれるまでにはまだ時間がかかりそうです。
とりあえず私だけでも運転できるので、エス氏の兄さんにも付き添ってもらって
車の購入に踏み切った私たち。
試乗もして、購入1週間後に車を引き取りに行きました。
帰り道、はじめてのマイカー運転に緊張し、サイドブレーキを引いたまま
運転してしまったのはさておき、
わが家まであと数百メートルというところで突然車が止まり、
エンジンがかからなくなってしまいました。
いきなりのハプニングに、なにをどうしたらいいかわからずあたふた…。
偶然、車の手入れをしているおじさんが近くにいたので、
車を押すのを手伝ってもらい、ひとまず車を路肩に寄せました。
その後、お店に電話して、すぐに来てもらうことに。
やって来た整備士のおじさんもパッと見た限りでは故障の原因がわからないようで、
いったん店に車を運んで車をチェックするとのこと。
私たちは買ったばかりの車を置いて、とぼとぼと歩いて帰りました。

車に乗るからと、いつもより薄着で出かけた私たちは
数日後に夫婦そろって風邪をひき、よれよれの状態が何日も続きました。
妊娠後期に寝込むのは前回経験済みですが、とにかくつらいです。
私たちに続くようにぼっちゃんの体調も悪化。
家族3人、交代でゲホゲホと咳をし、家の中にはどんよりとした負の空気が充満。
週末にはエス氏のお兄さん一家にぼっちゃんを預けて、
エス氏と2人目のためのにいKEAで買い物をする予定になっていたのですが、
これもやむなくキャンセルすることに。
こんなときに限って、外も寒くてくもっていて、
ほんとうにすべてが滞った感じになるから困ったものです。

1週間のうちに予期せぬトラブルがこんなふうに続くなんて、
私とエス氏にはめったにないことなので、精神的にもかなりまいってしまいました。

車の故障は、タイミングベルトの交換ミスが原因でした。
ベルトだけでなくその周りの部品も交換したそうなので、
お店のもうけはほとんどないのでは?と思うくらい修理にもお金がかかったはずです。
きっちり修理されてやっとわが家にやってきたはじめてのマイカー。
まだ家の前にとまっているのを見るたびに、「あれはうちの車かぁ」と思います。
車のドタバタは落ち着きましたが、私たちの体調は2週間たってもいまだに
本調子には戻っておらず、ぼっちゃんに至っては去年の12月に続いて
この冬2回目の喘息様気管支炎にかかってしまいました。
小児性アトピーにかかっていることも発覚して、私のアレルギー家系を
しっかり継いでしまったのかな、と申し訳なく思う今日この頃です。

きっと、みんなの体調が戻って毎日の生活が戻ってきたなと思うころには3月に突入、
2人目出産予定日まで1ヶ月・・・という感じになるんだろうと思います。
IKEAにはいつ行けるのかな・・・時間だけが過ぎていく恐ろしさを実感しています。